「不登校の子」と「登校の子」の子育て
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「学校に行ってる」と「学校に行っていない」兄弟・姉妹の話
一家に「学校に行っている子ども」と、「学校に行っていない子ども」がいるご家庭も多々あることと思います。
親からしたら、
どちらも大切で、可愛い我が子….
我が子に愛しさの順位なんて付けれるわけがありませんよね。
だけれど、
片方は学校に行っていて、学校の行事や、勉強や、友達や先生との人間関係、部活動と頑張っている子。
片方は、学校に行けなくて、家にこもっている子。あるいは学校に行かないことを選択して学校以外の居場所に行っている子。
学校に行っている子(兄・姉)は、行っていない子(弟・妹)のことを
「なんでいけないんだ?!こっちは一生懸命頑張っているのに、怠けていて、恥ずかしい!」
「友達におまえの弟(妹)なんで、学校休んでるんだ?と頻繁に聞かれるのが嫌!」
「みんなと同じことが出来ないなんて、人生終わってる」
と思っていたりする。
さらに、母に学校に行ってない子より自分の方が頑張っているアピ-ルをするときもある。
そして、こんな場合もある。
学校に行ってる(妹・弟)は学校に行っていない(兄・姉)に対して、
「ずる-い!!」
「一緒に学校休みたい。」
と思っていたりもする。
まぁ~、本当に親にとっては、困ったもんだの毎日です。
学校に行っている子の気持ちはすご~くわかる!!よく頑張ってるよ!あんたはえらいよ!応援してるよ!
そう言ってあげたい。
けれど、この言葉を、
学校に行ってない子の前で言うと、傷つけてしまうかもしれない…理解してくれないと思うかもしれない。
行っている子をほめれば、行ってない子をけなしてしまうようで、、
こんな風に考えることが、我が子の学生生活が終わるまで続き、
板挟みになってるお母さんは、かなり、しんどいものです。
私も何年もこのことで悩んだ1人です。
でも、ある時からいろいろ考えることをやめました!
ある日、幼い頃の二人の写真を見ていて、思い出したんです。
子どもを授かった時、おなかの中の我が子に
「元気に産まれてきてね!」
「大きく育ってね!」
と思っていたこと、、、、
産まれて初めて対面したときは、
「五体満足で良かった!」
「元気な産声を聴かせてくれてありがとう!」
と、元気に産まれてきてくれたことに感謝・感激していたことを。
私のおなかから出てきたのは同じなのに、それぞれの個性がある。
この子たちは、育ったおなかが私だということは一緒だけれど、寝返りしたとき、歩き始めた時、しゃべり始めた時など、
全く一緒じゃなかった。
その時は、それぞれが出来るようになったことが嬉しかった。
だから、
「学校」の存在を無視して、
それぞれの子ども達の「応援団」になろうと決めました。
それからは
我が子の「応援団長」
として、それぞれのその時の状況を聴いたり、頑張っていることは応援したり、
とにかく「聴く」ことをしました。
片方が片方のことを悪く言ったときや、お互いに悪く言うときは
聴いていると悲しくなることもあったけれど、
「○○は、そういう風に思ってるんだね」
と返し、否定はしませんでした。
片方が学校に行ってないと、一緒になって行きたくないと言った時は、
行きたくない気持ちは受け入れ、
「行かなくてもいいけど、昨日お友達と約束したことはどうする?」と聞くと
「やっぱり、行ってくる。」
と、自分から行くことを決めていました。
自分が産んだ我が子だけれど、2人は違う人間。
それぞれの道があって、それぞれの生き方がある。
どれも正解も不正解もない。
私が願うことは
この子たちが、自分の心で「幸せ」を感じてくれること。
“「不登校の子」と「登校の子」の子育て” に対して2件のコメントがあります。
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「我が子の応援団長」素敵な言葉ですね☺️
私もそうありたいと思いました☺️
本来、学校に行く事は子供の義務でないのに頑張って学校に行く子供。自分に合わないと判断して行かない事を選択する子供。私の理想はそれぞれの子供に合った学びの場所が増える事。そうすれば、もしかしたら子供達から「学校に行かなくてずるい」なんて言葉自体なくなるのかも。学校に行かない子は「不登校」ではなく「教育難民児童」な気がしてきました(^^;
「学校に行かなくてずるい」ではなく、「あの子の行っているところ楽しそう。でも、自分の行っているところも楽しいよ☺️」と言える社会になったら「不登校」の言葉自体、なくなるのかもしれないですね☺️
コメント、ありがとうございます!
そうですよね!「不登校」の言葉がなくなり【学ぶ場を自由に選択できる】ことが、普通になっている未来になって欲しいと私も、願っています!(^^)!